このところ、新卒の就職率が悪いとか、就職活動が大変だとかいう記事がたくさん出てますね。そもそも新卒一括採用というシステムがもはや合理性を失っているのに、未だにそれが支配的な採用システムで、これじゃ日本企業の活力も無くなるし、若い人材は潰されていくし、大学ではまともな学究活動ができないし・・・というような話もよく聞く。内田樹先生の「日本の人事システムについて」とか、どこで読んだのか、山田昌宏先生のお話とか、いやあもう、まったくそうだと思いますよ。
私自身が新卒(っていうか院卒)で社会に出たのは1996年で、当時は大学3年、ひどい場合は2年の秋から就活はじめなきゃいけないというようなとんでもない状況にはまだ至ってなかったけど、「就職超氷河期」なんて呼ばれた時代で、それなりに厳しい時代だったし、結局今に至るまで、6回、7回も転職を重ねることになってしまってるので、今、就活をやっている学生の人たちのストレスも分かる気がする。
そう、内田先生のエントリにもあるように、査定される側に立たされて、なんの基準だか分からないところで査定されて、わからないところでダメ出しをされてしまうという構造にマイッてしまうんですよね。採用側はあたかも合理的な基準で(でも、明かされない基準で)査定しているように振る舞うので、採用される側は訳も分からぬまま「自己分析」だの「志望動機の充実」だのに走っちゃう。で、「ご縁がありませんでした」なんて言われることが続くと、自分は社会に役立つ人間ではないのではないか、社会に必要とされてないのではないかと、不安をつのらせ、精神的にマイってしまう。自信を失ってしまう。自分自身を認めることができなくなって、本当に社会に出れなくなってしまう。
しかも、多くの日本の会社は新卒の一括採用を続けているし、「新卒」のブランドは未だに絶大なので、大学卒業のそのときに就活に失敗してしまうと、もう、挽回不可能な感じで、なんだか人間的に否定されたようなダメージを受けてしまうんだよね。
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ちょっと話はずれていくんだけど、人が社会でよく生きて行くためには、根本的なところで社会に対する信頼がないといけないんだろうと思うんです。自分はこの社会に受け入れられているんだ、この社会に生きる場所があるんだって、本能的に、無意識的に信じられることが大切なんじゃないかという気がしてる。
その最初のステップは、やはり両親の愛、家族の愛から始まる。使い古された陳腐な言葉ですけど、親から受ける「無償の愛」は、社会に対する信頼の始まりだと思う。子どもはまだ未熟だし、できないこともたくさんあるんだけど、親はそれでもかわいがって、世話をしてくれる。見返りを求めることなく、受け入れてくれる。子どもはそんなこと意識していないと思うけど、自分が生きて行くことを当たり前だと感じ、疑問をもたない。この段階で、社会に対する信頼、自分には生きていく場所がある、っていうことが精神の深いところに刻まれていくんだと思うんです。
やがて小学校に入学し、中学校に進む。子どもたちは自分の生きて行く社会を少しづつ広げていくわけです。いじめられたり、けんかしたりしながらも、少しづつ広がっていく社会の中で自分の居場所を模索していく。軋轢はあるけれども、自分の存在を確認しながら、自己を確立していくんですよね。
受験、なんて人から査定されるイベントもあるんだけど、これは、基準がはっきりしている。所詮、点数なんだから。そりゃ、点数取れる方がいいには決まってるんですけど、それだけが社会、世界じゃないことは明らかだし、ダメならダメで、別の道はいくらでもあるし、もっと勉強がんばる、なんていう対策もある。世界は広いし、生きていく場所はいくらでもある。
学歴社会を非難し、受験戦争は点数だけで判断するのがけしからんと非難し、内申点やらなんやらを取り上げて、「点数だけではなく、もっと総合的な能力や潜在力を見て合否を決めるべき」なんていう人がいるけど、もしそんな試験ができて(できっこないけど)、かつその試験に落ちちゃったらどうするわけ?人間失格なわけ? 結局、現場で起きたことは、内申点を上げるためだけのボランティア活動に忙しい、よい子ちゃん競争にいそしむ子どもたち、だったじゃん。そんなの、もっと病んでるよ。
あ、話が逸れた。
とにかく、社会に対する根源的な信頼、が、アイデンティティの確立の前提条件のように思うんですけど、今の日本の新卒の採用制度っていうのが、この「信頼」を崩すような働きをしているように見えるんです。学生に対し、「あなたは社会に必要とされていない」と宣告する仕組みを構成してしまってる。さっきの、点数だけでなく総合力を判定する受験、と似たような感じ。基準がよくわからないけど、よくわからないなりに努力を求められて、受かればいいけど、ダメなら人間失格かっていう気分にさせられてしまう。みんな「新卒」をありがたがるので、この機に内定もらえなければ失格、おしまい。強烈なストレスです。自己の存続にかかわるストレスになると思う。引きこもっても当然だって思うよ。
両親の愛、家族の愛を受けて育ち、学校という大人社会の予行演習を経て、やっと自分っていうものを培ってきて、さて、社会に出るぞっていうところで、一斉にふるいにかけて、「あなたは社会に必要とされていません」って宣告する。採用側にそんなつもりはなくても、まだまだ脆くて不安定な学生さんたちにとっては、そりゃ、アイデンティティの危機になってしまいますよ。
私の場合は、とりあえず社会に出てみて、おかしいな、こんなはずじゃないよな、って転職を繰り返したり、もう一回大学院に行ってみたりして、とりあえず自分自身の衣食住くらいは賄えるところまで来ました。幸運にも鬱病にかかることもなく、ホームレスにもならなかったし、生活保護も受けずに済んだ。でも、今のご時世は、そんなことやってると「非正規」から「ワーキンブプア」への深い穴に落ちちゃったりする恐怖もあるよね。そんな時代じゃなくてよかったと、正直、ちょっと安堵している自分もいます。
でも、やっぱりひとつだけ。
就活のただ中にいると、それが世界のすべてのように感じられるし、ちゃんとしたところに勤めないと体裁も悪いし親も心配する、っていうのもあるかもしれないけど、意外と世界はもっと広いんじゃないかな。息苦しい日本から逃げたっていいし、自分一人くらいなら養える道は「新卒でどっかの会社に入る」以外にもあるよ、きっと。
3 comments:
いつも楽しく観ております。
また遊びにきます。
ありがとうございます。
>履歴書の志望動機さま、
今後ともよろしくお願いいたします。
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